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僕が「元赤軍派議長」の看板を掲げ続ける理由   
---30周年に際しての連合赤軍問題私的総括   塩見孝也               (1/5)

このような看板を僕が掲げることを厭わないことについては多少の物議が醸されているようです。

 「同志の死を飯の種にしている」とかのとびっきり悪意に満ちたモノから、「売名行為の自己顕示欲だ。歴史の亡霊が徘徊している」「同志の死を悼むのであればもっと静かにしてやれば良いのではないか」「もっとやることは沢山あり、やりようも考え地味に地道にやったらどうか」等々の否定的モノや、「最後まで責任を誠実にとろうとしている」「責任を引き受けようとしているのは塩見一人ではないか」と言った肯定的なモノまであります。

 僕の方は95年「リハビリ終了宣言」を書いた時の態度で委細意に介さず必要なときはこの看板を当然のこととしてキッパリと掲げ続け、世間に自分流にメッセージを送り続けてきました。

 出獄し僕も生活の資を得るために適当な職を得ようと模索してきた時期があった。塾や予備校の講師等等である。適当な自営業も考えた。しかし警察や反動「右翼」が跳梁し妨害をし続け難しかったし、僕自身の方でもやらなければならないことも重なり定職を固めて行くことにはなりませんでした。

 結局「自分は市民社会に両足突っ込んで初心を貫くことは出来ない人間で、一方で市民社会に片足突っ込み、他方の足は外に出して置くようなスタンスが適当である」と観念しました。

 世間の注目や有名性についても考えました。「有名なことは悪いことではなく良いことで、志と矛盾しない限り利用して良い。知りたいという要求に応え、それらの人々と応答すべく利用すべきである。」と。これでメディアやジャーナリズムへの僕の「頭隠して尻隠さず」の中途半端な態度はふっきれ、ある種の「やくざな評論家」的なりあい、「文筆業」でなにがしかの生活の資を得、活動を保障することも良しとするするようになりました。

 しかし、このなりふり構わず看板をかかげる理由の根本はこの方面から生じたのではなく僕の初心、志、責任意識から生じていることについてははっきりと言っておかなければなりません。しかしに更に煎じ詰めたより深層の意識に潜って、その理由を率直に述べれば僕固有の歴史に基づく倫理観ともいえる分野に根ざすものと言わなければならなりません。

 確かに僕の不器用さ、適性、才質が生活者としての定職を得ることに向いていないことは確かであるがそれは表面的な理由です。

 僕の内面に生活者になりきることを拒む抵抗感というか、強迫観念というか、そんな感覚が心の根底のところに揺曳していると言うことです。それはかっこよく言えば初心、志、責任意識ということ、自分の生き方、自分の学生運動、ブント、赤軍派、連合赤軍問題と獄中非転向20年、リハビリを経ての「自主日本の会」に到る自己史から来るプライドと言って良いものですが、それとも重なるが、本質的にはややそれとずれます。むしろこのプライドと裏腹にある何かと言えます。

 文学的と言うか自己の精神史的分野に属する問題です。

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